2007/08/22

今日、私は26歳になりました。
夜、ボーイフレンドからプレゼント(右)が届きました。

左は、元々持っていたブループラネットという香水で、
地球儀を模したボトルが気に入って、ネットで購入したもの。
こちらの青は男性用の香りみたいに、清涼感あるマリン系。

一方、赤のred planetはサクランボのようなかわいくて甘い香り。
しかもこちらは、香水の中でも精度の高いオードパルファンでした。
ボトルだけじゃなく、箱もかわいいです(>_<)

一番感激したのは、この香水を二人で見に行ったときのことを彼が覚えていてくれたことです。
私がいつか、オードパルファンやパルファンを上手に使いこなせるようになりたいと言ったことも。

今日は、田舎の父と電話したことや、
駅で学校の子とばったり会ったこともあって、
うれしい日となりました。
今日から、また改めて頑張ります。よろしくお願いしますo(^-^)o

2007/08/16

残暑見舞い申し上げますm(__)m

暑い!!!!!!
今日は、隣の岐阜県多治見市で、日本国内の最高気温を記録した。
愛知も暑い。風があまり吹かないから、生ぬるい熱気を直に吸い込んでしまう...
これだけ天気いいと洗濯物がカラッと乾くから、まぁいいかぁ。

私は今年、何年かぶりに日焼けしている。
そのせいか分からないけど、日本人に見られないこともある。
こうなったら、この肌の色に合う秋服の色を、今から研究しておこう。

2007/08/14

今の私は、まるで朝青龍だ。
帰りたいのに帰れない。
多分、どっちつかずの今の状態(卒業できるか退学するか、二つに一つの極限状態)で故郷に帰ってしまったら、
愛知には戻りたくなくなって、二度と学校に戻れなくなる。

今、私が会っている留学生達との交流についても、
6月あたりから自分の限界を感じていた。
彼らにとって、良い友人になり得るのは、日本人のコミュニティから大きく外れてしまった私ではない。
標準的な日本人(現役学生)こそが、一番彼らの力になってあげられる。

同じ大学でも、私が入学した八年前と現在では、
学内の制度も大きく変わってしまった。
次々とできる新しい学部と学科、新しく変わる単位のしくみや履修の制度、
特に、相手の所属している学科の授業内容について質問される場合、
それが設立されて新しい学科であればあるほど、
前例や情報も少ないので、私では何も分からない。
こんなとき、本当に彼らを助けられるのは、
彼らと同じ学科に所属する、同じ立場で同じ授業を受けている現役の日本人学生達しかいない、と気付いた。
その事実に気付いたとき、自分の立場とか存在が、少し虚しく感じた。

2007/08/13

昨日、私のささやかな夢が叶った。
バイトで法衣を預かった。
預かったのは、絡子(らくす) という、
小さな生地でできた、お坊さんが服の上から胸元にかけるものだ。
生地の右側に丸いわっか(環)がついていた。
学校以外でこれを見れたのは、実に感慨深い。

そういえば、明日から(8月15日まで)お盆だ。
この持ち主が、お盆にきれいな服でお勤めができるように届けたい。

2007/08/10

"戦争が終わって ぼくらは生まれた"(by「戦争を知らない子どもたち」)

私も親も、戦争も原爆の怖さを知らない戦後生まれだ。
昨日は、私たちにとって忘れてはならない日だった。
私はまだ広島に行ったことがないけれど、長崎なら一度中学校の修学旅行で行ったことがある。
原爆資料館にも行った。
そのとき、一人の外国の方がいたのを覚えている。

その人はどんな目的で、この資料館を訪れたのだろうか。
なぜ私達は写真パネルから、目を背けてしまうのだろう。
私たちが、まだ子どもだったからだろうか。
じゃ、なぜその外国の方は目を離さず正視していたのだろう。
私は資料に集中できなかった。

8月15日は、はたして"終戦記念日"だろうか。"勝戦記念日"と言ってる国もあると聞く。
昔、世界史の先生から「原爆のスイッチを押した軍人は、その後発狂してしまった」と聞いた。
本当だろうか…。出来すぎた話だ。


北朝鮮の核保有疑惑がささやかれ始めた頃、一人の留学生に聞いたことがある。
「私たちは(近くの国が核を持っているor持っているかもしれない、という事実が)怖い。あなたも怖くないか?」
相手はスリランカ出身の人だった。
「でも、インドには助けてもらうことも多い。」

スリランカ北部の内戦に対してインドの軍隊が仲裁に入ったことや、
お互いの国の領海で獲れる魚(それぞれ種類が違う、とのこと)の交換(取引、と言った方がいいのかな?)が盛んなことを教えてもらった。
少し、日本とアメリカとの関係に似ている部分もあるのかな、と感じた。

2007/08/05

私は今まで、和英辞典と英和辞典、
せいぜい第二外国語の授業で独日辞典を使ったり見たりしたことがあるくらいだ。

夏休み前に留学生達と会ったとき、私は初めて、日本語をモンゴル語で説明してある辞典を見た。
別の留学生の辞書は、日本語からベトナム語の意味を調べる辞典で、
これも今年になって初めて見させてもらった。

私たちはアジアの友人達に対して、あまりにも親切ではないと思った。
電子辞書も、日本語から対応できる言語には限りがあるようだ。

中国や英語圏出身の学生のほとんどは、
電子辞書ですばやく意味を知ることができたり、
それ以外の言語を母国語とする人々の日本語辞書より、
日本語の単語もたくさん対応していたりするので、日本語学習も有利だ。

彼らの関心は、なぜ日本なのだろう。
それはよく疑問に思うのだけど、
私がこの質問について直接答えを聞くことができたのは、
昨年の留学生の、まだ二人だけだ。

日本語は日本国内だけの公用語で、ほぼ日本国でしか話されていない。
ときどき、その事実に"ぞくっとする"(←うまく表現できなくてごめんなさい...)ことがある。

私は多言語をマスターすることはできなかったけど、
そのかわり、宗教学を専攻したおかげか、
イスラームや他国の仏教について、留学生達の意見を聞くことができたり、
自分からも意見を言えたことは、とても大きな収穫だった。
ただ、もし私がそれぞれの言語に通じていれば、
お互いにもっと詳しい内容を理解することができただろうに...
と、心残りだ。