だけど、私が彼女と同じように行動してみても周りを戸惑わせるばかりだ。
今月15日、私はお祝いと一年間ゼミで過ごしたお礼を伝えに学校へ行った。
私と彼らには心理的な距離があったことは認める。
見返りを求めてたわけじゃないけど、見返りがなければないで寂しく感じたことが、なんだかやりきれない。
私が冒頭の友人を特別に感じるのは、行動と本心が伴っていて裏表がないから。今も昔も。
彼女は、いじわるな冷やかしや嫌味を言わない。人を適当にあしらったり見下したりもしない。
たとえ、彼女自身が不本意な扱いを受け続けても、それを他人に仕返すことはなかった。
ただ、みんなと仲良くなりたかったから、どんな形であっても話しかけてもらえたことがうれしい、
と彼女が私に言い切ったことが忘れられない。
言ったもん勝ちの、えげつない世の中にがっかりすることもたくさんある。
考えるだけ苦しいのは分かってる。
彼女と同じ教室で過ごした昔、個人と周囲の決して交わることのない思いを目の当たりにした。
私はその光景を受け入れることができなかった。
今の学校で、このやりきれない思いに対する教えを乞いたいと思った。
この選択は正しかったのだろうか、と、今も気持ちはくじける。
でも、高校時代に今の学校を見つけられなかったら、私は一番望まない世界に身を置いたままだった。
心を殺しながら生きることは、死んでるのと同じ。
少なくとも高校時代、私は死んでた。
現在も、その時代に気持ちが戻ることがある。
本当の自分を取り戻したい。
明日は、四月からの授業についてオリエンテーションが行われる。
来月2日から本屋でバイトも始まる。
時間もある今のうちに、いろんな気持ちを書き留めておこう。