2007/12/19

悲観的

昨日、朝から留学生達のスピーチコンテストを聞きに行った。
卒論などで、私は最近みんなに会いに行けなかったが、
久しぶりに会うと、みんな私の知らない顔をしていた。

私はここのみんなのように強くはなかった。
「学校やめたい」と、誰にはばかることなく口にしたし、
実際、この一年で仕事を見つけたわけじゃない。
毎月の生活をギリギリ過ごせるぐらいのアルバイト代を稼ぐのでいっぱいいっぱい。
就活に使うお金さえ残らない。
私は何をしているんだ?
目標が持てない。怖い。

2007/11/27

クリスマスもみじ

学校のもみじ。
一つの木に、まだ青い葉とすでに真っ赤になった葉と、二色ある!
クリスマスカラーっぽくて気に入ったので思わず撮影o(^-^)o

2007/11/20

無心

今日は朝から派遣のバイトに行ってきた。
就業時間の九割五分、ライン作業。

ベルトコンベアーから流れてくる本の背表紙に、
鉛筆でひたすらしるしをつけた。
本ばかり集中して見つめていると、
そのうち、本が止まって見えて、
自分の足元にこそベルトコンベアーが敷かれていて、
あたかも自分の方が移動させられているような感覚がした。
そのときの私は機械で、少なくともヒトではなかった。

休憩時間、「姉姉」というメールが届いた。
この妹に早く会いたいと思った。

2007/09/13

あと少しで夏休みも終わって、後期の授業が始まる。
そうすれば、大好きな留学生達にも、学校で会えるから楽しみだ!

私が留学生と接点を持ったきっかけは、
私が研究室に一番よく話に行く教授が担当している授業の一つに、留学生達のクラスがあって、
そのツテで彼らのクラスを行き来するようになったからだ。
私がこのクラスに行きたいと思った本当の動機を、
最近まで誰にも語ることはなかった。

一つめの動機は、私を年齢だけで判断しない友達が欲しかったから。
自分の所属する学科やゼミの現役学生達の輪の中に、私は積極的に入っていけなかった。
それは、私が年齢を極度に気にしていたからで、
私には現役たちと交流しよう!という勇気が足りなかっただけだ、と今なら解る。

二つめの動機は、ある人との出会いだった。
その人は、日本で叶えたい夢を持っていることを教えてくれた。
私はできるだけ"彼or彼女"の立場に近い人から、
日本で生活する上での情報が欲しいと思った。
そして"彼or彼女"に、その情報を伝えてみたいと思った。

最初、このクラスに来た目的を尋ねられたとき、
私は本音を言わなかった。
私の理由は感情的すぎて具体的ではない、と私自身が恐縮してしまって、
もし本当の理由言ったら笑われるかもしれない…、と相手の反応が怖かったからだ。

私は彼らが大好きだ。
一緒にいると楽しい。
でも、ときには迷うこともある。
頭ごなしに日本の感覚を押し付けて、私にも強引で乱暴なところがあった。
なんで分かってくれないんだろう、って、
悲しくなったり、怒ったりしたりしたこともあった。
文化の違いだから、という一言で片付けるのは嫌いだ。
乗り越えたいし歩み寄りたい。

"国際交流"なんて、私には大きすぎてよく分からない。
私はただの民間人、彼らもまた同じ。

2007/09/08

最近、学校行くときが一番気持ちが安定してると思う。
バイト中心の夏休みを送っているせいか、
一日の大半がバイトで終わるような生活になっていることに危機感を持ち始めた。
私ってバイトだけが生き甲斐?…。
そんなの嫌だ!

8月はいろんなことを我慢してお金を稼いだはずだけど、何も達成感がない。
自分を見失ってた。
毎日があっという間に通り過ぎて、
肝心の欲しいものやチャンスが掴めない。
なにもかも、私の手からすり抜けていく…。

今、学校の就職課や図書館に足を運ぶことが一番の楽しみ。
自分のことだけを考えていられる貴重な時間だから。
早く学校始まらないかなぁ…。いいかげん、授業や就活中心の生活をしたい。

2007/09/07

今日は面接というよりは、説明会だった。一対一の個人面談みたいな感じだった。

心配だった台風は、さほど影響がなかった。
ちょっと迷ったけど、予定より早く着けた。
歩いてる途中、久しぶりに稲が生えてる田んぼを見た。
ちょっと鹿児島の田舎の風景に似ていて、感動した。

帰り際、留学生さん達にどうぞ、と、
そこの会社が日本在住の中国から来た人向けに発行しているパンフレットを渡された。
私との、一見小さな出会いやきっかけも無駄にしないところが、
なかなかのやり手だな、と思った。
みんなや友達にいいお土産ができた(^^)
早くみんなに会いたいな〜。

ちなみに、今日は質問に対して極度にどもってしまった。
次からは、もっとガッツを見せなきゃ(>_<;)

2007/09/06

明日、面接に行く。
でも、台風が来そう…。

秋冬用のスーツでは、まだ暑いな(-_-;)

2007/08/22

今日、私は26歳になりました。
夜、ボーイフレンドからプレゼント(右)が届きました。

左は、元々持っていたブループラネットという香水で、
地球儀を模したボトルが気に入って、ネットで購入したもの。
こちらの青は男性用の香りみたいに、清涼感あるマリン系。

一方、赤のred planetはサクランボのようなかわいくて甘い香り。
しかもこちらは、香水の中でも精度の高いオードパルファンでした。
ボトルだけじゃなく、箱もかわいいです(>_<)

一番感激したのは、この香水を二人で見に行ったときのことを彼が覚えていてくれたことです。
私がいつか、オードパルファンやパルファンを上手に使いこなせるようになりたいと言ったことも。

今日は、田舎の父と電話したことや、
駅で学校の子とばったり会ったこともあって、
うれしい日となりました。
今日から、また改めて頑張ります。よろしくお願いしますo(^-^)o

2007/08/16

残暑見舞い申し上げますm(__)m

暑い!!!!!!
今日は、隣の岐阜県多治見市で、日本国内の最高気温を記録した。
愛知も暑い。風があまり吹かないから、生ぬるい熱気を直に吸い込んでしまう...
これだけ天気いいと洗濯物がカラッと乾くから、まぁいいかぁ。

私は今年、何年かぶりに日焼けしている。
そのせいか分からないけど、日本人に見られないこともある。
こうなったら、この肌の色に合う秋服の色を、今から研究しておこう。

2007/08/14

今の私は、まるで朝青龍だ。
帰りたいのに帰れない。
多分、どっちつかずの今の状態(卒業できるか退学するか、二つに一つの極限状態)で故郷に帰ってしまったら、
愛知には戻りたくなくなって、二度と学校に戻れなくなる。

今、私が会っている留学生達との交流についても、
6月あたりから自分の限界を感じていた。
彼らにとって、良い友人になり得るのは、日本人のコミュニティから大きく外れてしまった私ではない。
標準的な日本人(現役学生)こそが、一番彼らの力になってあげられる。

同じ大学でも、私が入学した八年前と現在では、
学内の制度も大きく変わってしまった。
次々とできる新しい学部と学科、新しく変わる単位のしくみや履修の制度、
特に、相手の所属している学科の授業内容について質問される場合、
それが設立されて新しい学科であればあるほど、
前例や情報も少ないので、私では何も分からない。
こんなとき、本当に彼らを助けられるのは、
彼らと同じ学科に所属する、同じ立場で同じ授業を受けている現役の日本人学生達しかいない、と気付いた。
その事実に気付いたとき、自分の立場とか存在が、少し虚しく感じた。

2007/08/13

昨日、私のささやかな夢が叶った。
バイトで法衣を預かった。
預かったのは、絡子(らくす) という、
小さな生地でできた、お坊さんが服の上から胸元にかけるものだ。
生地の右側に丸いわっか(環)がついていた。
学校以外でこれを見れたのは、実に感慨深い。

そういえば、明日から(8月15日まで)お盆だ。
この持ち主が、お盆にきれいな服でお勤めができるように届けたい。

2007/08/10

"戦争が終わって ぼくらは生まれた"(by「戦争を知らない子どもたち」)

私も親も、戦争も原爆の怖さを知らない戦後生まれだ。
昨日は、私たちにとって忘れてはならない日だった。
私はまだ広島に行ったことがないけれど、長崎なら一度中学校の修学旅行で行ったことがある。
原爆資料館にも行った。
そのとき、一人の外国の方がいたのを覚えている。

その人はどんな目的で、この資料館を訪れたのだろうか。
なぜ私達は写真パネルから、目を背けてしまうのだろう。
私たちが、まだ子どもだったからだろうか。
じゃ、なぜその外国の方は目を離さず正視していたのだろう。
私は資料に集中できなかった。

8月15日は、はたして"終戦記念日"だろうか。"勝戦記念日"と言ってる国もあると聞く。
昔、世界史の先生から「原爆のスイッチを押した軍人は、その後発狂してしまった」と聞いた。
本当だろうか…。出来すぎた話だ。


北朝鮮の核保有疑惑がささやかれ始めた頃、一人の留学生に聞いたことがある。
「私たちは(近くの国が核を持っているor持っているかもしれない、という事実が)怖い。あなたも怖くないか?」
相手はスリランカ出身の人だった。
「でも、インドには助けてもらうことも多い。」

スリランカ北部の内戦に対してインドの軍隊が仲裁に入ったことや、
お互いの国の領海で獲れる魚(それぞれ種類が違う、とのこと)の交換(取引、と言った方がいいのかな?)が盛んなことを教えてもらった。
少し、日本とアメリカとの関係に似ている部分もあるのかな、と感じた。

2007/08/05

私は今まで、和英辞典と英和辞典、
せいぜい第二外国語の授業で独日辞典を使ったり見たりしたことがあるくらいだ。

夏休み前に留学生達と会ったとき、私は初めて、日本語をモンゴル語で説明してある辞典を見た。
別の留学生の辞書は、日本語からベトナム語の意味を調べる辞典で、
これも今年になって初めて見させてもらった。

私たちはアジアの友人達に対して、あまりにも親切ではないと思った。
電子辞書も、日本語から対応できる言語には限りがあるようだ。

中国や英語圏出身の学生のほとんどは、
電子辞書ですばやく意味を知ることができたり、
それ以外の言語を母国語とする人々の日本語辞書より、
日本語の単語もたくさん対応していたりするので、日本語学習も有利だ。

彼らの関心は、なぜ日本なのだろう。
それはよく疑問に思うのだけど、
私がこの質問について直接答えを聞くことができたのは、
昨年の留学生の、まだ二人だけだ。

日本語は日本国内だけの公用語で、ほぼ日本国でしか話されていない。
ときどき、その事実に"ぞくっとする"(←うまく表現できなくてごめんなさい...)ことがある。

私は多言語をマスターすることはできなかったけど、
そのかわり、宗教学を専攻したおかげか、
イスラームや他国の仏教について、留学生達の意見を聞くことができたり、
自分からも意見を言えたことは、とても大きな収穫だった。
ただ、もし私がそれぞれの言語に通じていれば、
お互いにもっと詳しい内容を理解することができただろうに...
と、心残りだ。

2007/07/29

自分が良かれと思ってとった行動が、必ずしも相手のためになるとは限らない。
私は最近一つ学んだ。

私はある後輩に干渉しすぎた。
求められることをすべて引き受けた。
質問されたことにはすべて答えた。
だけどその行為によって、相手は知らない事があると、すぐ人に聞くくせがついてしまった。
私の対応によって、本人が自分で調べようとする意欲を削ぐ形になった。

勉強だけでなく生活についての制度なども、
専門家でもないのに、分かる範囲で助けになりたいという気持ちが先走って、
本人より先に調べてしまった。

ある人に言われた。
一連の私の行動は、私の単なる自己満足に過ぎない、って。
一人一人、背負ってるものは違う。
誰も、他人の境遇や抱えている問題まで代わってやることはできない。

2007/07/26

みなさん、おひさしぶりです。
こちらは梅雨も明けて、かわりに痛いくらいの陽射しを受ける毎日です。

先月から、クリーニング屋でアルバイトをしている。
生地の種類や服の形、汚れの種類によって対応もだいぶ変わってくるので、
覚えることもとても多いけど、なかなかためになる、いいバイトだ。

いまのところ、このバイトでの私の夢は、法衣を預かることだ。
学校の先生方を見るたびに思う...。

2007/06/25

猫に小判

KEITH MANHATTANという洋菓子のメーカーを初めて知った。

昨日、そこのお菓子をバイト先でもらった。
一人一箱づつもらった。
私一人じゃ食べ切れないと思ったので研究室に持っていったら、事務員さんからこのメーカーのことを教えてもらった。
それまで、洋菓子といえば私が知っていたのは、モロゾフやMaryぐらいだ。
和菓子なら、もっと分かるんだけど(-_-;)

それで、今回のお菓子はチョコレート味のカップケーキで、
ナッツとチョコをまぜたトッピングがされてあった。
商品名は、「ROAST NUTS BROWNIES」。
このメーカーについて、まだ分からないことが多いけど、
今度大きなデパートに行くときは、お菓子売り場で確認しておこう。

あ、感想忘れてた(^^;
とってもおいしかったです!

最近話題の「塩スイーツ」(塩味が強いお菓子)のような、奇をてらう珍しさや目新しさはないけれど、
食べてて安心できる味。
「甘さ控えめ」というコンセプトのお菓子のように、消費者側に対して必要以上に気を使うお菓子よりは、
今回のカップケーキみたいに、ある程度甘さの強いお菓子の方が私は好きだ。

2007/05/22

私は日本人で日本語が理解できるはずなのに、
相手が、本当に求めていることを、すぐに察することができない。
私の心の依りどころはどこにもない。
学内にも県内にも、鹿児島にさえも。

学部生で学年は四年生だけど、自分だけ他の人とは入学年度が違う、とか、
同じ日本人だけど、私は県内の出身じゃない、とか。
他人が私を、「あの人は違う」って区別する前に、
実は、私の側が細かい言い訳を作ってる気もする。
そういう自分の気持ちの小ささも、なんとなく分かってる(つもり…)。

留学生達は、いつも私を歓迎してくれる。
だけど、彼らの授業の先生に、
今日は事前にアポを取らなかったため、怪訝な顔をされた。
私は退室した。

私の軽率な行動は、先生だけでなく、ひいては留学生達に対しても悪影響なだけ…。
「国際交流!」なんて、どっかで浮かれてるばかりの自分がいた…。
onとoffをちゃんと考えてなかったことが恥ずかしくて、反省して落ち込んだ。


私は、自分が何者で、所属しているコミュニティは何なのか、を、
はっきりと示すことのできない毎日を送っている。
この空しい感覚は、完全には消えてくれない。

馬鹿な話、同じ歳同士で、昼休み時間に楽しくはしゃぐ学生達の集団を見るだけで、
本当は毎日がつらい。

今年は、修業から同級生が帰ってきたし、
新たに知り合いになった子弟さんも気さくで優しいから、
私の気持ちも、とても救われている。
それなのに、最近も気持ちがつらくなることが多くて、毎日が限界だった。

あぁ、話したいことはたくさんある。
いろいろ、不安も多いし、時に「あきらめよう(退学しよう)」って、
気持ちがつっ走りそうになって、
いっそ、そんな方向に身を任せて楽になりたい、
って思っちゃうこともある…。

だけど、先週に聞いた銃声や、味わった長い時間の恐怖を思えば、
私が悶々と悩んでた日々なんて、実は贅沢な時間だったかも。
あの事件を乗り切ったんだから、強く生きなきゃ。

2007/05/20

今日も昼前には、取材のヘリコプターが上空を飛んでいた。
今日のヘリコプターは、事件の最中より飛んでる数はすくなかったけど、
事件当日より低い位置で、何度か旋回していた。
そのせいで、今日もその音が騒がしかった。

現場から10mくらい離れた右側に、献花台が設置されていた。
凄惨な事件のあった現場は、青いビニールシートが覆われていて、
外からは見えないようになっていた。

今朝放送されていた、1週間分のニュースの総集編によって、
事件の背景が少しづつ理解できた。
それでも、まだ、すべてを把握できたわけじゃないから、
しばらくは、すっきりしない気持ちが、尾を引くだろう。

2007/05/19

銃声なんか二度と聞きたくない。
せめて、未来の私の人生では縁のないことを祈る。

銃なんて、日本には必要ない。
一個人がそんなの持っててなんになるのよ。
まったくひどい。

テレビに、かじりついても情報がなかなか入ってこないし、
別番組の中で「LIVE中継」として、
事件の経過がテレビ画面の端っこに小さな画面で写されていたところならまだしも、
こんなときに、テレビ画面全部がのほほんとした番組だったチャンネルには、正直イライラした。
普段楽しく見てるアニメ番組に対してさえも。

私達の存在は、すっかり忘れられてしまったんじゃないか?という、
妙な「見捨てられた感」や不安を感じた。

私のとこは、比較的自由に外へ出入りできたから、
まだいい方だったけど、友達はかわいそうだった。

いくら世界的に安全と言われている日本に住んでいても、
こういう事件は、もう、対岸の火事じゃなくなってしまった。
もう、他人事じゃない。

どこに住んでいても、こういう事件や犯罪に対する心構えは、
普段から意識する必要がある。
と、自分自身に対しての反省も感じた。

あと、近くに住んでいる人とは、できるだけ普段から仲良くしていたいと思った。
いざというときの、地域住民同士のネットワークって、
小さい力のようで実は大きくて大切。
今回、近くの知り合いや友達や先生には、たくさん助られた。

今も、上空にはヘリコプターが、朝から飛んでいる。
これからは、この音も私は苦手になりそう(´-`;)。

2007/05/17

***直感バトンQuestionaire

今日は、Arzenさんからいただいた「直感バトン」を回答してみます! 
Arzen さん、回してくれてありがとう(^^)♪ いつも返事遅くてごめんなさい。 
今回、どーしてもArzenさんや他の人達に紹介したいアニメがあるのです!!(それは、「おにいさまへ…」だーーーー!!)

それじゃ、直感バトンバトンQuestionaire、れっつごー↓↓



01.アニメといえば?

この4つのアニメは、私にとって特別な思い入れのある作品です。
*「ベルサイユのばら」
*「おにいさまへ…」 (←これです!!)
2つとも池田理代子さんの原作で、「おにいさまへ…」はYoutubeにアニメがあります。
半角英数で「oniisama」と検索してみてください。禁断の世界(百合・yuri !!)です…。


*「秘密の花園」 
NHK総合で昔やっていたアニメで、原作者は「小公子」・「小公女」の作品で知られているフランシス・エリザ・ホジソン・バーネット(Frances Hodgson Burnett)。

*「プラネテス」 
世界観がいい! 宇宙空間でスペースデブリと呼ばれている宇宙に漂うゴミを拾って働く人々(通称デブリ屋)が中心の物語。
大人向けのSFアニメだと思う。


最近のアニメでは「BLOOD+」「舞HIME」「地球へ…」が印象に残ってる。



02.コミックといえば?
*「おにいさまへ…」(←またか!!)
*「ぼくの地球を守って」…全21巻。前世と現世の登場人物たちの心理描写が丁寧で、キャラクター達と植物、そして地球への作者の思い入れを感じることが作品、かな。
この漫画のおかげで、私は植物が好きになった。




今夜はここまで。
03.以降の質問と回答はまた次回(;-;) ごめんなさい、ごめんなさい。
では、みなさん おやすみなさ~い。

2007/05/14

お父さんに会いたい。寂しい。

2007/05/13

先生!剃髪についての宿題、忘れてました…。
ごめんなさいm(__)m。
あぁ…、何書こう。困ったなぁ。


考えてみれば、私には「趣味」と呼べるものがない。
アニメも映画も音楽も好きだけど、
単なる「好き」という気持ちだけで満足してしまっている。

そこから、自分で何かを作ったり、やってみよう、という生産性も、
それを生かすような特技も、
私にはない…。

私には何にもない。何もできない。
私のアニメや映画や食べ物に対する「好き」って気持ちは、
その程度のもの?
気付いたら、悲しくなってきた(; ;)

何も表現できない自分が情けない。
私には、「自分」というものがない?
だとしたら、なんてつまらない人間だろう。

2007/04/29

行ってきます!

今日から一泊二日の温泉旅行に行ってきます。
長野県の昼神温泉です。

最近、ボケーっとしてた。
何か書かなきゃ…。

えっと…、最近知った話。
お坊さんが剃髪する日は、毎月の4日もしくは9日、と決まっている。
これは、曹洞宗の子弟さんから聞いた。
だけど、私の地元の住職(浄土真宗)は髪の毛があったよ…。
(宗派によって違うのかしら…。)
(でも、同じ浄土真宗のお坊さんでもきれいに剃髪されている人もいらっしゃるから、一概には言えないか…。うーん…。)

そういえば、今月真言宗で仏門に入った保阪尚輝さんはどうなったんだろ…。
あぁ、もっと記事をまとめなきゃ(-_-;)。

温泉から帰ってきたら、残りの連休は、これについて調べてみるか。

2007/04/18

これからが正念場

今日の授業で、各年度の卒業生達の卒業アルバムを、先生が私達に見せた。
アルバムには、私にとって懐かしい顔が何人もあった。
私が彼女達を最後に見たのは、私がまだ、現役の大学三年生だった頃だ。
彼女達(彼達)の印象は、私が知っていたものとはかなり違っていてびっくりした。
私の知らない時間がたくさんある。

同い年の卒業アルバムは、さすがに動揺する。
他の学生達の手前、平静を装うしかなかった。

3年前、私は同学年の卒業式に駆けつけることはなかった。
その頃、初めて休学をして、私は鹿児島に帰っていた。
でも、もし当時こちらに残っていても、きっと、同学年の卒業式には行かなかっただろう。
(心情的に…。なんとなくそんな感じがする。)

今までの留年生活を、四年生を「繰り返す」という気持ちでいた。
でも、現在はまるで「もう一度、入学した」ような、新しい気持ちだ。
私自身が忘れていた気持ちや、私の眠っていた気持ちが、
ゆっくりと目を覚ますような瞬間を、最近よく実感する。

学生時代の一番苦しい時間は過ぎたけど、
その後、落ち着いてその安定を保つことの方が、
何倍もエネルギーが要る、ような気がしてきた

2007/04/14

おさらい

昨日(4月13日)、今年入学した留学生達に会った。
去年みたいに、彼らの授業の一つを一緒に受けた(見学も兼ねて)。

漢字の読み方より、漢字の書き順を聞かれることが多かった。
私も、書き順に自信が持てない漢字がいくつかあったので、
ジャポニカ学習帳を使って漢字をおさらいしてみる。

いつも、ケータイやパソコンの変換機能に頼りっぱなしで、漢字の読みに不自由はないけど、
そのかわり「書く」ことがおろそかになっていた気がする。

2007/04/11

シャッターチャンス!

もう、大学も在籍八年にもなると、
「今年は誰かと仲良くなれるかなぁ」なんて、のんきなこと言ってられない。
「誰でもいい、盗めるものは何でも盗んでやる!(主に学内の情報ね)」くらいの気持ち。

私の気持ちはそのくらい殺伐してるけど、
今日の昼、登校途中に撮ったこの写真みたいな風景を見ると、とても癒される。
このあと、チョウチョがすぐ逃げてしまった。
まさに、この瞬間はシャッターチャンスだった。

パソコン上にアップされる画質は、今回も悪いだろうな。
今度の給料でデジカメ買おう…。

翻訳

今朝のニュースで、明日のメジャーリーグの試合に登板する日本人選手2名の特集をやっていた。
イチロー選手と松坂大輔選手だ。
明日、二人は同じグランドで直接対決する。


二人をニュースで紹介する際、こんな表現がされていた。

「天才イチロー!怪物松坂!」……………。

ちょーーーっと待った!
彼らが現在生活しているアメリカのニュースでも、二人をこんなふうに表現しているんだろうか?
「天才」はともかく、「怪物」というニックネームはアメリカでは、どんなふうに受け止められているのだろう?

「怪物」は直訳すると「Monster」かもしれないけど、果たしてそのまま「Monster」と翻訳してもいいのだろうか。
「怪物(Monster)」という言葉だけ聞くと、かなりきわどい表現だ。
下手すると不名誉な意味として取られかねない。
"怪物”=乱暴・粗野、とか(--;)…。う~ん…。

彼の超人的な才能や実績を、日本人が"いい意味"で「人間離れしている=怪物」と称えたことを、
向こうの人達は理解できるだろうか。


他の日本語でも、一見すると悪い意味のように受け取れる言葉はある。
私が思いついた言葉では、「愚直」「貪欲」「したたか」など。
「愚直」はバカ正直、「貪欲」は欲が深い、「したたか」はしぶとい。

でも、すべてにおいてこの言葉たちが悪い意味で使われているとは、私には思えない。
たとえば、「彼は愚直な人だ。」と表現したとする。
たしかに、その彼はバカ正直で融通の効かない人かもしれない。
だけど、”物は言い様”(物事はどんなふうにでも解釈ができる)で、
「彼は彼自身に対して、とても真摯だ。(彼は自分に嘘がつけない=彼は正直な人だ)」とも表現できそうだ。

辞書に載っているだけの説明で、その言葉の理解に満足してしまうのは、非常にもったいないことだと思う。

2007/04/10

年齢

ケータイは便利だ。
今日感じた気持ちを、新鮮なうちに発信できるから。
でも、すぐにラベル(日記のジャンル分け)を貼れないのが不便だ。

今日は、バイト同士で年齢の話題が出た。
私以外にも、22歳以上の人が何人かいるらしい。
この話題に対して、さっそく自らカミングアウトした人もいたけど、私はできなかった。
条件が該当する他の人と違って、私は軽蔑されるのが恐くて、始終黙ったままだった。

学校という場所は、幾通りもある社会から見れば、特殊な世界なのかもしれない。
全日制の(日中に通う)大学の場合、ほとんどの人が18歳で入学して22歳で卒業する。

私のように周囲と年齢が違うことに対して負い目を感じたり、
逆に、人々が一歳でも自分達と年齢が離れている人に対して、何となく距離を置いて接したりするのは、
日本に限った現象なのだろうか?

去年、私が見学させてもらった、うちの大学の中の留学生だけを集めた学科には、
いろんな国の、年齢もそれぞれ違う学生達がいた。
今年の1月19日、私は彼らの卒業パーティに行った。
そのパーティが終わった後、私は彼らの前でいきなり泣いてしまった。
当時、私は彼らに自分の近況を話した際、周囲との年齢差があることについての悩みを、思わず打ち明ける展開になった。

すると、
「なんでー(そんなこと気にするの)?私たちのクラスで一番年上の人は、一番若い子より10歳以上年齢が離れてるけど、私達みんな仲良しだよー。」
と、言われた。

確かに、彼らの授業はアットホームな雰囲気で、昼食時間も仲良くみんなで食事をしていた。
それは、日本人同士の「仲良し」とは少し違う感覚なのかもしれない。
彼らにとって他人とコミュニケーションは、死活問題に関わる重要な能力だろう。
現在私も、学内で関わる人を選り好みできる立場じゃない。
たとえ、もし相手が私の年齢を知って戸惑ったとしても。

2007/04/09

エトランゼ

うちの大学の年間スケジュール表には、クリスマスイブもクリスマスも書かれていない。
だけど、仏教の記念日がいくつか書かれてる。
四月八日もその一つで、昨日は釈尊(仏陀)の誕生日だった。
この日は「降誕会(こうたんえ)」と呼ばれている。

この記念日を私は大学に入学してから知った。
ただし他の学生達は、高校時代も仏教系の学校出身だったり、実家がお寺の人などは、
こういった行事には入学前から馴染みがあったみたいだ。
当時の私は、この時点で他の子達より大きく出遅れていることに、不安を覚えていた。

この土地に来て、今まで、非日常的で滅多に触れる機会のなかった風景が、とても日常的なものになった。
お坊さん先生や僧籍を目指す学生達の存在、座禅を組むためのお堂…etc。
それらは、日本の伝統(の一部)そのものなのに、私にとって目新しい発見ばかりだった。
国内で異国(にいるような感覚)を感じた。

2007/04/08

健康ランド

健康ランドに行ってきた。
久しぶりにゆっくり湯舟につかった。極楽、極楽(^-^)。
下宿はユニットバスで、浴槽が狭くて、
入浴をシャワーだけで済ますようなつくりだ。
夏はそれでもいいけど、冬がつらい。

今日の風呂あがりはフルーツ・オレを飲んだ。やっぱり、牛乳系の飲み物に限る。

2007/04/07

「地球(テラ)へ」

今日18:00から「地球(テラ)へ…」というアニメを見た。
私はこの作品に触れたのは、今回が初めてだったけど、
(今日の放送はおそらく)第一話を見て、過去に私が見たある作品を思い出した。

日渡早紀原作の「ぼくの地球を守って」。
これは、テラと同じく少女漫画が原作。

今回の「テラ」の冒頭で、主人公が夢に出てくる人物に同化する場面があったように、
こちらの作品も、主人公の少女が宇宙を舞台にした夢を見て、
その夢に登場する人物の一人に、彼女の意識がシンクロしていく。
やがて、「確実に地球ではない、どこか」が舞台の同じ夢を見続けているという仲間達が、彼女の前に現れる…。

「ぼくの地球…」で主人公達が共有していた世界(夢)は、結果として、彼ら自身の前世の記憶だったのだけど、
「地球(テラ)へ…」の主人公・ジョニーが見た夢は、これからの展開にどう生かされていくだろうか。
こちらも、「ただの夢」ではなさそうだ。

今日の作品を見た第一印象は、主人公の容姿が「サイボーグ009」(石ノ森章太郎の作品)に似てる気がした。
主題歌と共に流れるオープニング映像からは、
手塚治虫の「火の鳥」みたいに壮大な物語を期待できそう。
「BOOK OFF」(古本の販売や買い取りをやっているお店)で、原作を探してみるか。

2007/04/05

お願いします

これを記事にするか迷ったけど書く。

数日前(3月の終わり)、家のポストに一枚のチラシが投函されていた。
そこに書いてあったのは、4月2日は何の日か知っていますか?
という内容から始まって、読み進めてみると、イエス・キリストの命日だ、と書いてあった。
ちなみに、このチラシの連絡先は、キリスト教系の宗教団体のものだった。

日本では、彼の誕生日(クリスマス)はよく知られていて馴染みがあるけど、
私は、彼の命日をこのチラシで初めて知った。
私たちがクリスマスを特別な日と感じる一方で、
このチラシをくれた彼らは、彼らなりの聖書の解釈から、
彼の誕生日が本当に12月25日だったんだろうか?と疑問を抱いているようだ。

私が「当たり前」と思っていることも、別の場所では違う解釈がなされている。
この分野を専攻に選んでもまだまだ、新しい発見や驚き、そしてとまどいが多い。

政治と宗教の話は、軽々しく人前で話さないほうがいい、と言われる。
私も家族からそう言われて育った。
この分野を専攻に選んだことで、皮肉にも悩みが増したときもあった。
今でも、このたぐいの話を話題に出すのは、とても緊張する。

私が宗教や伝統に対して感じたことを、すべてありのままに話すのは完全な罪だ。
だけど、話してもさしつかえない、と自分なりに考えた範囲で、
これからの記事にこの分野を取り入れることを、どうか許してください。

帰宅してから、あのチラシを再び確認してみた。
なぜか胸騒ぎがしたから。
4月2日は「彼の命日」ではなく「彼の死を追悼する日」、だった。

「今年はイエスの死を記念する式が、4月2日、月曜日の日没後に行われます」(チラシの原文引用)
と、ある。
私に読解力がなかったm(__)m ごめんなさい

別れ出会い再会

今日は入学式だった。今日はとてもよく晴れていて、満開の桜がきれいだ。
そういえば、私のときは雨が降って寒くて、桜も咲くのが遅かったよなぁ。
本の売り場にも、親子連れの新入生や院生が、さっそく教科書を求めに来ていた。

そして今日、去年に仲良くなった留学生が引っ越した。
彼については、また今度に記事を書こう。

最近は、卒業式がこの前あったばかりで、
この季節は別れもあるけど、また新しい出会いもやってくる。
今のバイトで、同じ学科の、学年の違う人と知り合いになった。


先生からメールきた。
「あの彼」(出家した)に会ったそうだ。私も早く会いたい。

2007/04/02

復帰

今日からバイトが始まった。
今日の主な仕事は、本を山積みしたり、本が入れてあった段ボールを畳んでまとめたりした。
作業の途中、目に止まったのはアメリカ元副大統領のゴアさんの著書「不都合な真実」。
(この本の内容は、環境問題について)。
今年の授業で教材として使われるようだ。


久しぶりにバイトができるのがとても信じられなくて、
昨日の晩は、ワクワクしっぱなしで、なかなか眠れなかった。
ここまで体調が回復できて良かった。
そして、このささいな喜びをここで報告できることが、更にうれしい。

私はとても励まされたから前進することができた。
この「特別なありがとう」を、ある人に捧げる。

2007/03/21

入学の動機

高校時代の、ある友人の考え方や行動がすごく素敵。
だけど、私が彼女と同じように行動してみても周りを戸惑わせるばかりだ。

今月15日、私はお祝いと一年間ゼミで過ごしたお礼を伝えに学校へ行った。
私と彼らには心理的な距離があったことは認める。
見返りを求めてたわけじゃないけど、見返りがなければないで寂しく感じたことが、なんだかやりきれない。

私が冒頭の友人を特別に感じるのは、行動と本心が伴っていて裏表がないから。今も昔も。
彼女は、いじわるな冷やかしや嫌味を言わない。人を適当にあしらったり見下したりもしない。


たとえ、彼女自身が不本意な扱いを受け続けても、それを他人に仕返すことはなかった。
ただ、みんなと仲良くなりたかったから、どんな形であっても話しかけてもらえたことがうれしい、
と彼女が私に言い切ったことが忘れられない。

言ったもん勝ちの、えげつない世の中にがっかりすることもたくさんある。
考えるだけ苦しいのは分かってる。

彼女と同じ教室で過ごした昔、個人と周囲の決して交わることのない思いを目の当たりにした。
私はその光景を受け入れることができなかった。
今の学校で、このやりきれない思いに対する教えを乞いたいと思った。

この選択は正しかったのだろうか、と、今も気持ちはくじける。
でも、高校時代に今の学校を見つけられなかったら、私は一番望まない世界に身を置いたままだった。
心を殺しながら生きることは、死んでるのと同じ。
少なくとも高校時代、私は死んでた。
現在も、その時代に気持ちが戻ることがある。
本当の自分を取り戻したい。


明日は、四月からの授業についてオリエンテーションが行われる。
来月2日から本屋でバイトも始まる。
時間もある今のうちに、いろんな気持ちを書き留めておこう。

2007/03/20

東京で父がいろいろ打ち明けてくれた。
田舎では、私たち親子の在り方を珍しがられることが多い、って。

私たちは今、別々の県にいて、お互い離れて暮らしている。
田舎では私も、なぜ親のそばにいてやらないのか、なぜ留年までする意味があるのか、
もう退学して田舎帰ってくればいいのに、と、さんざん言われる。
でも、父だけはいつも私の味方だ。

そばにいなくて寂しいけど、離れてるからといって愛情が薄れるわけじゃない。
どこにいても離れてても、お互いを気にかけることを忘れずに、元気でいてくれればいい。
こう言ってくれる。


ときどき、自分の進路選択が間違ってたんじゃないか、って自信なくなるときもある。

鹿児島に残った友人達から聞く、高校時代とほぼ変わらない人間関係が引き続き自分達の身近にあるという、とても魅力的な環境。
就職に有利なネームバリュー(偏差値とか)にコネ、社会的に受け入れられやすい学科の専攻。


私は人よりたくさんの迷惑と心配と、たくさんの学費を親へ負担をかけた。
それ以上に、親子の確執をお互いが覚悟したときは、本当に、本当に苦しい思いをさせた。

今だって、現在進行系でお互いが苦しい。
それでも、いつかお互いが笑いあえる日が来るから、今を捨てないで生きていこう、
と、約束した。

2007/03/19

この便で帰る

東京駅から帰宅する。

今回は、いつもよく話をする親戚とは別の人達と話せたことが、大きな収穫だった。
その人達は私の祖父の妹達で、つまり私の大叔母にあたる。

この母方の祖父は、遠い昔に若くして亡くなっている。
彼が亡くなった当時、私の母ですら幼かったというから、私なんて影も形もない時代だ。

大叔母の一人は、私に立派な写真をくれた。
それぞれが他家へ嫁いでもなお、祖父への慕情の尽きない大叔母達が私をこんなにも受け入れてくれる。
私のこの血とルーツに感謝する。

世間は狭い

今回、私と父が東京を訪れたのは法事のためで、
昨日、東京や東京近辺に住む、私の母方の親戚達も集まった。

その親戚の中に、関東で教員をしている男性がいて、
偶然にも彼は、私の通う大学で同じゼミを受けていた学生の、高校時代の恩師だということが分かった。

そのクラスメートは、今年、つい3日前(3月15日)に卒業したばかりだ。

ちなみに男性は、私の母の従弟にあたる。
世の中、誰とどこで繋がってるか分からない。

2007/03/17

東京行き

今日から3日間、東京に滞在する。
17時に親と東京駅で待ち合わせる。
会えたら、まず、米を送ってくれたお礼を伝えよう。

戦争時代の我が家

15日のNHKの夜に放送されたニュースの中で、
去年12月上旬に日本でも公開されたハリウッド映画「硫黄島からの手紙」の舞台となった、東京都硫黄島の映像が流れた。
日米両軍の元兵士達と、米軍側からは現役の兵士も交えて、合同慰霊祭が行われたときの映像だった。
恥ずかしながら、私が「こっちの」硫黄島を知ったのは成人になってからだ。


昔、メール交換していた(いわゆるメル友)から教えてもらうまで、
硫黄島と言えば、鹿児島県三島村に位置する同名の「硫黄島」しか知らなかった。
ちなみに鹿児島の硫黄島は、島から流れ出る、鉄分を含んだ温泉だか土(?)だか硫黄のために、島近辺の海の色は茶色い。
中学の頃、この島にキャンプに行った友人達(私は体調が悪くて参加できなかった)が見せてくれた写真には、
赤茶色い海で遊ぶ友人達と、そのバックに煙の上がる山の光景が写っていて、茶色と青い海の境界も確認できた。
これらの光景の不思議さも手伝って、この島の(写真の)印象は、やけに鮮明に覚えている。
この硫黄島には誰もが気軽に足を運ぶことが可能で、もちろん軍事基地もない。とてものどかな島だ。



さて、冒頭に戻って…。
戦争(この場合は、第二次世界大戦)を、私の肉親で経験したのは、今は亡くなった私の祖父母達だ。
祖父は戦地へ徴兵されて、鹿児島を南下してフィリピン・インドネシア・シンガポール・マレー半島と、亜熱帯の国々を中心に移動した。
今も実家には祖父が残した、戦地で撮影された写真がいくつか残っている。

戦争の怖さは、意外なことに祖父じゃなく祖母からほとんど聞かされた。
私の実家の周辺も爆弾を落とされて亡くなった人もいて、
空襲警報がけたたましく鳴る夜は特に、祖父と離れて生活していたから余計怖かった、って。
一方、祖父が話してくれた内容は、私が覚えている限りでは取り留めのない話題が多かったように思う。


スマトラのジャングルで虎と遭遇してこれを倒したこと、

-(この話を聞かされた当時は、この話は眉唾ものだと感じたけど、この時代の日本の兵隊の「カミカゼ」「特攻隊」などを考えると、あながちありえない話ではないかもしれない…。)-

脱腸して軍の病院に入院したこと、有名な歌手が慰問に来たこと、油田を掘りに行ったこと、
食料が尽きて現地で牛を盗んだこと、ドリアンを食べたこと…etc.

残された写真のうち何枚かは、写真の裏に紫色の丸いスタンプが押されているものがある。
祖母が生前教えてくれたことには、戦地から日本の家族に送る手紙や写真はすべて、
一度、軍の検閲にかけられて、このスタンプはそれを通った証しだそうだ。
祖母が祖父に送った写真も同じだった。


戦争は戦地へ行った男性だけのものじゃなくて、帰りを待っていた人達にも戦いはあった。
祖母はそう言いたかったんだろう。

2007/03/16

これがジンチョウゲの花

タイトル「これがジンチョウゲの花」の記事のみ、携帯電話からの初めての投稿。
3月6日の日記に書いたジンチョウゲの花の写真を送る。
去年、今くらいの時期に実家のジンチョウゲを撮影したもの。
うまく表示されますように。

卒業式

3月15日、二回目の卒業式を見送りに行った。
親にこのことを話すと、なんだか私の行動に対して、とても怪訝そうな口調で言葉を濁されてしまった。
まるで私に慎みが足りないとでも言いいたげで、あんまりだと思った。

それはさておき…。


今年のゼミ生に、お寺に上山する人はいなかった。
この人達が式にいないのは特殊な事情だから分かる。
だけど、卒業資格のある人全員が式に来てるわけではなかった。
みんな見えないとこで事情がそれぞれあるんだろうな。
でも、どこの大学もこんな感じでこれが普通なのかな?
今はこう思ってても、私も同じ立場になれば分かることがあるだろう。


ひとつ、うれしい知らせがあった。
前の日記で紹介したクラスメートが修行を終えて戻ってきた。
彼は同じ大学の院に進学するらしい。幸か不幸か、私も大学に残っている。
お互いの、春からの新生活が落ち着いたら会いたい。

2007/03/07

いくじなし

ここで、いろんなしがらみを、洗いざらいぶちまけたい衝動に駆られるときがある。
私は単純な人間なのに、どうして肝心なときに限って迷うんだろう。
そして、立ち止まってしまう。情けない。
四月から学校が始まるというのに、このままじゃ気持ちの切り替えが難しそうだ。
あぁ、もう…いかん、いかん!

ハッピーな気分になりたいと思えば思うほど、
その試みさえも単なる逃避にしか思えなくなって、自分自身が嫌になる。
私よりも人生経験・社会経験豊富な幼馴染の、
否応なしに私に現実をつきつける鋭い意見が、
時に恨めしく、時に残酷で、そして本当はありがたいはず…だ。

そういえば年末も、叔父との電話で気まずくなったことがあって、
当時の私の気持ちは、今の気持ちにとても似ている。
そのとき叔父はとても酔っていて、私に対して、もっと痩せろ、と、しきりに言ってきた。
このときは、そのしつこさに頭にきて、冬は帰省しない旨をその場で勝手に決めて、
叔父に言い返してしまったので、私は後から親に怒られたのだった。
この出来事は、私がどう対処できるか、が問題だった。

結局、今年の冬は鹿児島に帰省しなかった。
鹿児島に帰省しなくても、私が今住む土地に嫁いでいる幼馴染によって、
私に別のたしなめがあったことは、
こういう苦い思いをすることは、私にとって避けられない運命だったに違いない。

私は一人暮らしをする中で、「誰にも迷惑をかけず、そして誰にも迷惑をかけられず」、
そんなことを望んでいたけど、 人が私にいろいろ言ってくるのも、
実は私が、心配という名の迷惑を周りにかけている証拠だ。

こんな綺麗事で、無理やり文末を締めようとするくらい、
今の私は “うそひーごろ” だ。(*うそひーごろ 鹿児島の方言。意味は「嘘つき」)

ここ(BloggerのBlog)は私の“個人的な庭”かもしれないけど、同時に公共の場でもある。
その自覚が、私の不満をこの場に完全には解き放たない。
でも、自分の気持ちを文章にすることは、自分にとって何よりの試練で、何よりのヒーリング効果かも。
これはほんと。

2007/03/06

みかん

散歩してると、柑橘系の果物のような、いい匂いがしてきた。
それは白い花で、つぼみの時は濃いピンク色をしている、ジンチョウゲという花の匂いだ。
私の実家にも、この植物の木が植えてある。
鹿児島では、2月の始めに花が咲いて、2月中に散ってしまう。

そういえば今年は、みかんを食べていない。
実家にいるときは、いつも、近所の人からみかんをたくさんもらっていたから気づかなかったけど、
スーパーで買うといい値段する。
スーパーでは、珍しくて形のきれいな柑橘類がたくさん置いてあるけど、
鹿児島にいたときにたくさん食べた不格好なみかんはやっぱり置いてない。

ザボン、ハッサク、ポンカン、デコポン、温州みかん、桜島小みかん…。
(大きい→小さい)
ビタミン!!
温州みかんは甘いけど、痛みやすくて味の当たり外れが大きい。
桜島小みかんは、世界一小さいみかんなのに果肉の中に種が多く入ってるのが憎い。
私はポンカンが好き。果肉が引き締まってて、酸味も甘みもちょうどよくて食べやすい。

最近、うわごとのように
「スーパーのじゃないみかんが食べたい…。 ツワ(「つわぶき(石蕗)」)が食べたい…。」
と、つぶやいて友人を困らせている。
この調子だと、四月には道端のつくしをむしり取ってしまうかも。
砂糖としょうゆで味付けて炒めるんだ。

2007/03/02

プラスチックの二十代

先月、復学届を提出した。
届を出しに行った日は、スーツ姿の学生達がいっぱい集まってた。
就職企業説明会、という看板が立ってた。
今年は、スーツ姿の年下の子達を見ても、不思議と何も感じない。

初めて休学したとき(4年前)は、こんなんじゃなかった。
スーツ姿の同級生を見かける度、部屋で、わんわん泣いた。
あの頃は、休学してほっとしたのと同じくらい、将来に絶望した。
初めての休学は、今思い出しても苦しい。
今は今で、別の苦しさがあるけど、もうあの頃の悔しさ、悲しさ、痛み以上のものを感じない。
強くなったんでもなく、弱くなったんでもなく、きっと私はずるくなった。


感性も変わった。
昔、あんなに感動して必死に集めた洋楽達も、今聴いても心に響かない。
歌詞の意味とか音色の深さとか、自分なりに解釈もしなくなって、
その歌の持つ美しさが分からなくなった。


今は、メロディーが覚えやすくて、歌手が歌ってる映像を見ると一層楽しめて、
何も考えないで、聴くだけで無条件に気分も体も高揚できる曲を求めてる。
幼い頃に好きだった「光GENJI」というアイドルグループの歌のように。
たとえば彼らのヒット曲「パラダイス銀河」。その歌の中に、

しゃかりきコロンブス 

という歌詞があるけど、「しゃかりき」って何? なんて、細かいことは気にしない。


歌も人生も、ひょっとしたら今の私には、
意味とか理屈で考えるんじゃなくって、 雰囲気を味わうだけで充分なのかもしれない。

2007/02/24

志布志裁判

昨日、私のふるさとの鹿児島県が舞台となった、ある冤罪事件の裁判が行われて、
全員無罪と判決が下されました。
選挙に当選して県議会議員となった男性が、有権者達にお金を配って票の取りまとめをしていたのではないかと疑われていました。
そしてこの男性と、金銭を受け取ったとされる12人の住民達は逮捕されてしまいました。

ところが、この事件の被告たちの自白以外に確かな証拠が存在しなかったのです。
そして、その'自白'とされる証言さえも、警察の執拗な取調べによってなかば無理やり強要されたものだったことが明らかになりました。


私はちょうど1年前のこの時期、鹿児島の実家で、この事件についての特集をニュース番組で見ました。
そのときの内容は、議員さんが金銭を配るために集会を開いたとされた日の夜、
離れた土地で催された同窓会に出席していた彼のアリバイを検証するものでした。
彼が、同窓会を抜け出してまで集会に参加した後、再び同窓会の会場に戻ることが可能なのか。
彼はこの日、最後まで同窓生と談笑していた、という同窓生達の証言もありました。
少なくとも同窓生たちにとって、彼を途中で見かけなくなった、などという「空白の時間帯」はもちろんありませんでした。
このVTRは当時、検証されて間もない頃のものでした。
今週放送されたニュースでも、このVTRが再び使われていました。

田舎の夜道、信号もぽつんぽつんと比較的少ない土地の交通。
集落から同窓会会場までかかった時間は片道37分といいますから、
その距離は、大体20Km~25Kmぐらいでしょう。  
20Kmといっても、都会の道と違い、山を一つ越え二つ越えするので、とても大変です。
外灯や民家の明かりも途中、なかなか現れてくれません。
地理的にも、彼らの地域と私の実家の土地は、同じ大隅半島に位置しているので、
あの周辺の交通状態は想像しやすいです。

自白の強要や人権侵害、ひどく高圧的な取調べが行われた、と被告たちは主張しました。
いまだに、前時代的な、力や権力で意見や主張を封じ込めてしまう取調べが平然とされていたなんて。
被告となってしまった方たちは、皆、中年から高齢の方たちです。
あまりの扱われ方に怯えて、体調を壊しただけでなく、自殺未遂まで追い詰められた方もいたといいます。

ぐらしかぁ。 こんな悲痛な鹿児島弁を、遠く離れたこちらで思い出すとは。
 


果たして、今後、この事件は「狭い地域」で起こった出来事として扱われてしまいますか?
日本の警察、裁判制度のあり方に対して、もう一度原点を見つめ直せる問題提起になってほしいと思います。
「被告側の人権を守る」と表現するのは、短絡的でしょうか。
真実を強要されることで、それがかえって、真実とは違うものになってしまう悲劇が、
もう二度と繰り返されませんように。

2007/02/21

クラスメート

今月の9日から最近まで、マイコプラズマ肺炎にかかっていました。
そんなときでも、食欲だけはいつもと変わらなかったので、
不自由な生活の中でも、食べる楽しみだけは奪われずにすんだ。


久しぶりにパソコンに触れて、しばらく使っていないホットメールを確認してみたら、
私と、昔に卒業したゼミ生達とのやりとりが残っていた。
その中の、ある一人の男の子のことは、他の誰よりも印象に残っている。
彼は、卒業式を迎える前に仏門に入った。


‐ 回想 ‐

私達の学科の卒業生で、彼のような人生を選択する人は珍しくない。
元々この学校自体、宗派の子弟を育てることを目的とした学校だから。
それでも彼は、在学中は、自分が修行しに行くということをみんなには内緒にしてほしい、
と、ゼミの教授にお願いしていたようだ。
彼なりの、私たちへの心使いだったに違いない。
今振り返ると、私は彼の行動を、そう確信できる。
卒業式のとき、彼がそこにいない理由を、私達は教授から説明を受けた。
彼は、みんなとの思い出を作ることを、とても楽しみにしていた。

仏門に入る卒業生達は、卒業式より早い時期にお寺での修行が始まる。
だから、彼らは自分の卒業式に出席できない。
彼は、それを常に自覚していたからこそ、アルバム作りに積極的だった。
私は、その思いに気づくのが遅すぎた。


彼らと同じゼミのクラスだったとき、私はすでに留年していた。
私と同じ歳の同級生達はもう卒業していて、周りは見知らぬ人だらけで、
自分が人と「違う」ことが恥ずかしかった。
私は彼とは反対で、周りと深い付き合いになることを避けていた。
「言わなくてもいいこと」、「できれば言いたくないこと」、「言うことで相手が引いてしまうかもしれないこと」を、あの頃の私はたくさん持っていた。
とにかく、それらは私にとっての弱みになりやすかった。
周囲とは、当たり障りのない会話ができればそれでいい、と思ってた。


自分が他人と違う、と思っていたのは私だけじゃなかったんだ。
彼なら、実家がお寺の人同士、修行しに行く人同士で固まって、ゼミ以外の人に交流を求めることもできたはず。
でも、彼はあえて、私たちの中に飛び込んできてくれた。
そこが、彼と私の違い。
私は久しぶりに、思い出を懐かしんで泣いた。

2007/02/09

「クロニクル」 最近聴いたアニメソングの感想 

・「Chronicle クロニクル」 /中原麻衣&清水愛 
これはCDとDVDの二枚組みのアルバム。
アーティストは中原麻衣さんと清水愛さんのデュオ。
彼女達は声優で、いくつかのアニメ作品でお互いに共演している。
私が見たことある、彼女達の共演アニメ作品は「Dears」「舞HIME」「ストロベリーパニック」の三つかな。
DVDでは、耳あての部分が白くてふわふわしている、ヘッドホンのようなものをつけて歌って踊っている曲が多かった。


私の一番のお目当ては「ストロベリーパニック」のエンディングに使用された「秘密ドールズ」。
その曲のPVでは、ゴシックロリータ系の、黒くてフリルがついてる服装で、
胴の部分が、コルセットでかなりカッチリ締められてる感じ。
白い耳あてをつけて歌ってる曲のPVとは、がらりと雰囲気が違っている。
他の曲は、輸入菓子のジェリービーンズのようにカラフルな衣装やウィッグに背景で、
曲も明るくてかわいらしい感じのものばかりだったけど、
この曲のPVだけは、白と黒のモノトーンを基調とした、とてもシックな雰囲気で、曲調もぐっと大人びた雰囲気でした。

この曲のPVの最後で、二人がキスをしている(?)と話題のシーンがあるけれど、
私がPVだけを見た時は「シロ」だと判断した。
唇から少しずれた場所に口づけてるように見えたから。
でも、別な場所でこのPVのメイキング映像を見ることができたとき、一気に答えが出た。
彼女達は、本当にきちんと唇を合わせている。


私が彼女達に注目をし始めたのは、アニメ「舞HIME」からだったので、
いちファンとしては日も浅い方だけど、
二人とも私と同じ歳ということが分かってから、ますます彼女達を応援したくなった。
今後もお二人の活躍を期待しています!

2007/02/08

カルチャーショック その2 

― 回想 ―

学長や、何人かの私の同級生達は黒い袈裟を、
壇上で校歌を歌って、私達を歓迎してくださった合唱部の先輩達は白いジャケット、
私を含めた多くの新入生は,灰色のスーツを着ていた。
式典が行われた後に配られたのは赤い本。 
この本は、釈尊(仏陀)の生涯を説明している内容だったのは覚えている。
入学してからは、海外から来たお坊さん達と、オレンジ色の袈裟も見たっけ。

春は、うすピンクの桜と紫の藤、夏はショッキングピンクのツツジ。
秋はキンモクセイのオレンジ色。
冬は真っ白く積もった雪道。鹿児島の冬では、あまり見たことがなかったから感動したなぁ。

いろんな色、見てきたなぁ。
びっくりさせられたり慰められたりしたっけ。
私は今、どんな色に染まったんだろう。自分の色だけ、分からないや。

2007/01/17

カルチャーショック その1

本来の目的に戻ろう。
私の学校、学科について。
プロフィールにも紹介してあるとうり、私は仏教の教えを経営母体とする大学に通っている。
入学式で、袈裟をまとった学長の登場と、短い念仏が唱えられた。
あの衝撃は、今も忘れない。
その日は小雨が降っていて、春だというのにとても寒かった。
学長は、この雨を、仏教の伝説に登場する「甘露」という飲み物に例えていた。

―本日は天気が思わしくありませんが、これはみなさんのご入学を祝福してくださっている、天からの恵みの露~すなわち「甘露」だと私は思います。―

入学式や卒業式や、とにかく式典なんて、正直あんまり好きじゃないし退屈なだけだ、と思ってたけど、学長のこの話だけは今も心に残っている。

短いけど今回はこれで終わり。その2に続く。

2007/01/12

教養が欲しい

久しぶりに親しい教授に会いに行った。
教授はいつも、私の拙い話を真剣に聞いてくださって、励ましてくれる。
彼と話し終えると、私はいつも気持ちが救われる。

今日の彼の指摘どうり、私には忍耐が足りない。
そして何かをやり遂げようとする執念や踏ん張りも足りない。
このブログの一番最初の記事にも書いたとうり、
たった3ヶ月でmixiを退会してしまったこともそうだし、
今までの人生を振り返ると、有終の美を飾れたことは一つもない(気がする)。
積み重ねてきたもの(経験)が何もないから、私は自分に自信がない。
教授はそんな私に読書を勧めた。やり遂げる~本を読み終える。まず、そこから。

私は情けない弱音をぶつけた。
「私は、何年も本を読んでいません。
‘25歳の人間が読むにふさわしい本’って決まってるのでしょうけど、
今の自分に、そういうレベルの(成熟した)内容の本は、
きっと、私の頭と精神は追っつかないと思います。」
そして、名作と言われている作品でさえ、その題名だけを知っているにすぎないこと、
おおまかなあらすじは、いつもネットのレビュー欄を見て分かった気でいることを話した。
『星の王子様』も『クリスマス・キャロル』も。
教授曰く、今の私に一番いいのは小説だそうだ。
ネット上やメールで「自分の考えを言葉(文字)で表現する」のが苦手、と伝えたらそう返ってきた。


ネット上で、私は昔から幼く見られることが多い。
「中学生だと思った」と言われたときは、とても落ち込んだものだ…。
教養は普段の言動から自然と滲み出てくるんだな、と毎回恥ずかしく思う。
教養って、難しい言葉を使うとか、必要以上に何かを知ってることをアピールするのとも違う。
以前、教授が教えてくださったとうり「感動する気持ちや、‘知る喜び’を知る」ことこそが、
すべての「教養」につながるのかもしれない。
芸術にしても音楽にしてもスポーツにしても。

最近は、映画を見ても下の記事のとうり…。
確かにヘイデンに熱いものを感じたけど、
私がヘイデンのすばらしさを充分に表現できていないのが残念だ。


ネット上には、素敵な表現をしていて、閲覧者の共感を呼ぶのが上手な人たちがたくさんいる。
それは、その人の書く文章だったり、一生懸命描いた絵だったり、あるいはこだわって撮影されただろう写真だったりする。
私は、いろんな人の「好き」や、その人の、対象への「情熱」を見るのがとても楽しい。
私もそういう気持ちを経験してみたい。

2007/01/03

ヘイデン・クリステンセン 

今朝深夜4時から6時にかけて、新年最初のときめきが!
「海辺の家」という映画が放送されていて、その中で、まだ初々しい頃のヘイデン・クリステンセンを発見。
「スター・ウォーズ」シリーズの、若き日のアナキン・スカイウォーカー役の俳優、と言えばわかりやすいだろうか。
(ナタリー・ポートマン扮するパドメと恋に落ちる青年。)

はっきり言って、ヘイデンばかり目で追っていたので話の内容はあんまり覚えてないけど、
おおざっぱにまとめると、
死期の迫った父親が、別れた家族と一緒に海の見える場所に家を建てていく過程で家族の絆を取り戻していく、みたいなヒューマンドラマ系のお話。

今の時代、ハリウッドの若手俳優にしても日本のアイドルにしても、
時代を超えて通用する「正統派の美形」ってあんまりいない気がする。
現在、有名人に求められる要素は、「きれい」より「かわいい」、「憧れ」より「親しみやすさ」、
「退廃的な美」より「生命力あふれる陽気さ」といった感じか?
私がヘイデンに感じるのは、「~君は、トイレなんか行きません!」と言ってしまいたくなるくらいのトンデモなさ。
初めて雑誌で彼を見たときの印象が、笑顔ではにかむ姿より、
少し影のある感じの美しさの方がより強かったので、そう思ってしまうのかもしれない。

彼を「ジェームス・ディーンのようだ」と例える人もいるけれど、
もっと日本人に馴染みのある人物で例えるなら、ジャニーズの「嵐」・松本潤が一番近いと思う。
彫りの深さはもとより、どことなくクラッシックな時代の雰囲気がただよう色香とか、
横顔向いたときの少しアンニュイな表情とか、あくまで「黙っていたら」の話だけど。

話が逸れすぎたけど、「海辺の家」はDVDを絶対買う!







 

2007/01/01

新年の抱負~ブログ継続

新年あけましておめでとうございます。
投稿時間の設定が海外のものになっている? 日本時間では新年向かえました。
ベーグルブロガーには昨年の7月頃、登録だけしていたけど、日記をここに投稿するのは初めてです。緊張…。

あんまり文を書くのは得意じゃないけど、今度は頑張りたい。
「今度は」というと、以前ソーシャルネットワーキングサービスのmixiに参加していたけれど、
気負いすぎてわずか3ヶ月で退会してしまった過去があります。(--;)
今回違う場所ですが、もう一度挑戦してみようと思ったきっかけはROMだった自分にも限界を感じたから。
正確に言うとROM(Read Only Menber)ではなく、
私はネット上で自分のホームページやブログを持たず、
気に入ったサイトへコメント欄で意見を送るだけの交流だった。

ネット上で、ホームページを持っている人達同士の相互交流が盛んに行われているのを目の当たりにしたとき、
自分と他の人との違いをはっきり意識した。
そして、私のやり方のままでは、いま一歩踏み込んだ交流がまったくできないこと、
つまり、自分の意見があんまり主張できないこと
(人様のページなのであまり私情は説明しにくいし、自然とそういう報告などは遠慮する気持ちになる)を今更だけど感じた。
あんまりパソコンに詳しくないのでいきなりのホームページ運営は、まだ難しいけど、
まずはここをネット上の「家」にして、私情の連絡や近況報告はなるべくここで説明してみる。
邪道な使い方かもしれないけど、まぁ、とりあえずはそんな感じで。
今度は続きますように。