卒論などで、私は最近みんなに会いに行けなかったが、
久しぶりに会うと、みんな私の知らない顔をしていた。
私はここのみんなのように強くはなかった。
「学校やめたい」と、誰にはばかることなく口にしたし、
実際、この一年で仕事を見つけたわけじゃない。
毎月の生活をギリギリ過ごせるぐらいのアルバイト代を稼ぐのでいっぱいいっぱい。
就活に使うお金さえ残らない。
私は何をしているんだ?
目標が持てない。怖い。
私が留学生と接点を持ったきっかけは、
私が研究室に一番よく話に行く教授が担当している授業の一つに、留学生達のクラスがあって、
そのツテで彼らのクラスを行き来するようになったからだ。
私がこのクラスに行きたいと思った本当の動機を、
最近まで誰にも語ることはなかった。
一つめの動機は、私を年齢だけで判断しない友達が欲しかったから。
自分の所属する学科やゼミの現役学生達の輪の中に、私は積極的に入っていけなかった。
それは、私が年齢を極度に気にしていたからで、
私には現役たちと交流しよう!という勇気が足りなかっただけだ、と今なら解る。
二つめの動機は、ある人との出会いだった。
その人は、日本で叶えたい夢を持っていることを教えてくれた。
私はできるだけ"彼or彼女"の立場に近い人から、
日本で生活する上での情報が欲しいと思った。
そして"彼or彼女"に、その情報を伝えてみたいと思った。
最初、このクラスに来た目的を尋ねられたとき、
私は本音を言わなかった。
私の理由は感情的すぎて具体的ではない、と私自身が恐縮してしまって、
もし本当の理由言ったら笑われるかもしれない…、と相手の反応が怖かったからだ。
私は彼らが大好きだ。
一緒にいると楽しい。
でも、ときには迷うこともある。
頭ごなしに日本の感覚を押し付けて、私にも強引で乱暴なところがあった。
なんで分かってくれないんだろう、って、
悲しくなったり、怒ったりしたりしたこともあった。
文化の違いだから、という一言で片付けるのは嫌いだ。
乗り越えたいし歩み寄りたい。
"国際交流"なんて、私には大きすぎてよく分からない。
私はただの民間人、彼らもまた同じ。
心配だった台風は、さほど影響がなかった。
ちょっと迷ったけど、予定より早く着けた。
歩いてる途中、久しぶりに稲が生えてる田んぼを見た。
ちょっと鹿児島の田舎の風景に似ていて、感動した。
帰り際、留学生さん達にどうぞ、と、
そこの会社が日本在住の中国から来た人向けに発行しているパンフレットを渡された。
私との、一見小さな出会いやきっかけも無駄にしないところが、
なかなかのやり手だな、と思った。
みんなや友達にいいお土産ができた(^^)
早くみんなに会いたいな〜。
ちなみに、今日は質問に対して極度にどもってしまった。
次からは、もっとガッツを見せなきゃ(>_<;)
左は、元々持っていたブループラネットという香水で、
地球儀を模したボトルが気に入って、ネットで購入したもの。
こちらの青は男性用の香りみたいに、清涼感あるマリン系。
一方、赤のred planetはサクランボのようなかわいくて甘い香り。
しかもこちらは、香水の中でも精度の高いオードパルファンでした。
ボトルだけじゃなく、箱もかわいいです(>_<)
一番感激したのは、この香水を二人で見に行ったときのことを彼が覚えていてくれたことです。
私がいつか、オードパルファンやパルファンを上手に使いこなせるようになりたいと言ったことも。
今日は、田舎の父と電話したことや、
駅で学校の子とばったり会ったこともあって、
うれしい日となりました。
今日から、また改めて頑張ります。よろしくお願いしますo(^-^)o
今、私が会っている留学生達との交流についても、
6月あたりから自分の限界を感じていた。
彼らにとって、良い友人になり得るのは、日本人のコミュニティから大きく外れてしまった私ではない。
標準的な日本人(現役学生)こそが、一番彼らの力になってあげられる。
同じ大学でも、私が入学した八年前と現在では、
学内の制度も大きく変わってしまった。
次々とできる新しい学部と学科、新しく変わる単位のしくみや履修の制度、
特に、相手の所属している学科の授業内容について質問される場合、
それが設立されて新しい学科であればあるほど、
前例や情報も少ないので、私では何も分からない。
こんなとき、本当に彼らを助けられるのは、
彼らと同じ学科に所属する、同じ立場で同じ授業を受けている現役の日本人学生達しかいない、と気付いた。
その事実に気付いたとき、自分の立場とか存在が、少し虚しく感じた。
夏休み前に留学生達と会ったとき、私は初めて、日本語をモンゴル語で説明してある辞典を見た。
別の留学生の辞書は、日本語からベトナム語の意味を調べる辞典で、
これも今年になって初めて見させてもらった。
私たちはアジアの友人達に対して、あまりにも親切ではないと思った。
電子辞書も、日本語から対応できる言語には限りがあるようだ。
中国や英語圏出身の学生のほとんどは、
電子辞書ですばやく意味を知ることができたり、
それ以外の言語を母国語とする人々の日本語辞書より、
日本語の単語もたくさん対応していたりするので、日本語学習も有利だ。
彼らの関心は、なぜ日本なのだろう。
それはよく疑問に思うのだけど、
私がこの質問について直接答えを聞くことができたのは、
昨年の留学生の、まだ二人だけだ。
日本語は日本国内だけの公用語で、ほぼ日本国でしか話されていない。
ときどき、その事実に"ぞくっとする"(←うまく表現できなくてごめんなさい...)ことがある。
私は多言語をマスターすることはできなかったけど、
そのかわり、宗教学を専攻したおかげか、
イスラームや他国の仏教について、留学生達の意見を聞くことができたり、
自分からも意見を言えたことは、とても大きな収穫だった。
ただ、もし私がそれぞれの言語に通じていれば、
お互いにもっと詳しい内容を理解することができただろうに...
と、心残りだ。
私はある後輩に干渉しすぎた。
求められることをすべて引き受けた。
質問されたことにはすべて答えた。
だけどその行為によって、相手は知らない事があると、すぐ人に聞くくせがついてしまった。
私の対応によって、本人が自分で調べようとする意欲を削ぐ形になった。
勉強だけでなく生活についての制度なども、
専門家でもないのに、分かる範囲で助けになりたいという気持ちが先走って、
本人より先に調べてしまった。
ある人に言われた。
一連の私の行動は、私の単なる自己満足に過ぎない、って。
一人一人、背負ってるものは違う。
誰も、他人の境遇や抱えている問題まで代わってやることはできない。
昨日、そこのお菓子をバイト先でもらった。
一人一箱づつもらった。
私一人じゃ食べ切れないと思ったので研究室に持っていったら、事務員さんからこのメーカーのことを教えてもらった。
それまで、洋菓子といえば私が知っていたのは、モロゾフやMaryぐらいだ。
和菓子なら、もっと分かるんだけど(-_-;)
それで、今回のお菓子はチョコレート味のカップケーキで、
ナッツとチョコをまぜたトッピングがされてあった。
商品名は、「ROAST NUTS BROWNIES」。
このメーカーについて、まだ分からないことが多いけど、
今度大きなデパートに行くときは、お菓子売り場で確認しておこう。
あ、感想忘れてた(^^;
とってもおいしかったです!
最近話題の「塩スイーツ」(塩味が強いお菓子)のような、奇をてらう珍しさや目新しさはないけれど、
食べてて安心できる味。
「甘さ控えめ」というコンセプトのお菓子のように、消費者側に対して必要以上に気を使うお菓子よりは、
今回のカップケーキみたいに、ある程度甘さの強いお菓子の方が私は好きだ。
学部生で学年は四年生だけど、自分だけ他の人とは入学年度が違う、とか、
同じ日本人だけど、私は県内の出身じゃない、とか。
他人が私を、「あの人は違う」って区別する前に、
実は、私の側が細かい言い訳を作ってる気もする。
そういう自分の気持ちの小ささも、なんとなく分かってる(つもり…)。
留学生達は、いつも私を歓迎してくれる。
だけど、彼らの授業の先生に、
今日は事前にアポを取らなかったため、怪訝な顔をされた。
私は退室した。
私の軽率な行動は、先生だけでなく、ひいては留学生達に対しても悪影響なだけ…。
「国際交流!」なんて、どっかで浮かれてるばかりの自分がいた…。
onとoffをちゃんと考えてなかったことが恥ずかしくて、反省して落ち込んだ。
私は、自分が何者で、所属しているコミュニティは何なのか、を、
はっきりと示すことのできない毎日を送っている。
この空しい感覚は、完全には消えてくれない。
馬鹿な話、同じ歳同士で、昼休み時間に楽しくはしゃぐ学生達の集団を見るだけで、
本当は毎日がつらい。
今年は、修業から同級生が帰ってきたし、
新たに知り合いになった子弟さんも気さくで優しいから、
私の気持ちも、とても救われている。
それなのに、最近も気持ちがつらくなることが多くて、毎日が限界だった。
あぁ、話したいことはたくさんある。
いろいろ、不安も多いし、時に「あきらめよう(退学しよう)」って、
気持ちがつっ走りそうになって、
いっそ、そんな方向に身を任せて楽になりたい、
って思っちゃうこともある…。
だけど、先週に聞いた銃声や、味わった長い時間の恐怖を思えば、
私が悶々と悩んでた日々なんて、実は贅沢な時間だったかも。
あの事件を乗り切ったんだから、強く生きなきゃ。
銃なんて、日本には必要ない。
一個人がそんなの持っててなんになるのよ。
まったくひどい。
テレビに、かじりついても情報がなかなか入ってこないし、
別番組の中で「LIVE中継」として、
事件の経過がテレビ画面の端っこに小さな画面で写されていたところならまだしも、
こんなときに、テレビ画面全部がのほほんとした番組だったチャンネルには、正直イライラした。
普段楽しく見てるアニメ番組に対してさえも。
私達の存在は、すっかり忘れられてしまったんじゃないか?という、
妙な「見捨てられた感」や不安を感じた。
私のとこは、比較的自由に外へ出入りできたから、
まだいい方だったけど、友達はかわいそうだった。
いくら世界的に安全と言われている日本に住んでいても、
こういう事件は、もう、対岸の火事じゃなくなってしまった。
もう、他人事じゃない。
どこに住んでいても、こういう事件や犯罪に対する心構えは、
普段から意識する必要がある。
と、自分自身に対しての反省も感じた。
あと、近くに住んでいる人とは、できるだけ普段から仲良くしていたいと思った。
いざというときの、地域住民同士のネットワークって、
小さい力のようで実は大きくて大切。
今回、近くの知り合いや友達や先生には、たくさん助られた。
今も、上空にはヘリコプターが、朝から飛んでいる。
これからは、この音も私は苦手になりそう(´-`;)。
最近、ボケーっとしてた。
何か書かなきゃ…。
えっと…、最近知った話。
お坊さんが剃髪する日は、毎月の4日もしくは9日、と決まっている。
これは、曹洞宗の子弟さんから聞いた。
だけど、私の地元の住職(浄土真宗)は髪の毛があったよ…。
(宗派によって違うのかしら…。)
(でも、同じ浄土真宗のお坊さんでもきれいに剃髪されている人もいらっしゃるから、一概には言えないか…。うーん…。)
そういえば、今月真言宗で仏門に入った保阪尚輝さんはどうなったんだろ…。
あぁ、もっと記事をまとめなきゃ(-_-;)。
温泉から帰ってきたら、残りの連休は、これについて調べてみるか。
同い年の卒業アルバムは、さすがに動揺する。
他の学生達の手前、平静を装うしかなかった。
3年前、私は同学年の卒業式に駆けつけることはなかった。
その頃、初めて休学をして、私は鹿児島に帰っていた。
でも、もし当時こちらに残っていても、きっと、同学年の卒業式には行かなかっただろう。
(心情的に…。なんとなくそんな感じがする。)
今までの留年生活を、四年生を「繰り返す」という気持ちでいた。
でも、現在はまるで「もう一度、入学した」ような、新しい気持ちだ。
私自身が忘れていた気持ちや、私の眠っていた気持ちが、
ゆっくりと目を覚ますような瞬間を、最近よく実感する。
学生時代の一番苦しい時間は過ぎたけど、
その後、落ち着いてその安定を保つことの方が、
何倍もエネルギーが要る、ような気がしてきた
漢字の読み方より、漢字の書き順を聞かれることが多かった。
私も、書き順に自信が持てない漢字がいくつかあったので、
ジャポニカ学習帳を使って漢字をおさらいしてみる。
いつも、ケータイやパソコンの変換機能に頼りっぱなしで、漢字の読みに不自由はないけど、
そのかわり「書く」ことがおろそかになっていた気がする。
私の気持ちはそのくらい殺伐してるけど、
今日の昼、登校途中に撮ったこの写真みたいな風景を見ると、とても癒される。
このあと、チョウチョがすぐ逃げてしまった。
まさに、この瞬間はシャッターチャンスだった。
パソコン上にアップされる画質は、今回も悪いだろうな。
今度の給料でデジカメ買おう…。
今日は、バイト同士で年齢の話題が出た。
私以外にも、22歳以上の人が何人かいるらしい。
この話題に対して、さっそく自らカミングアウトした人もいたけど、私はできなかった。
条件が該当する他の人と違って、私は軽蔑されるのが恐くて、始終黙ったままだった。
学校という場所は、幾通りもある社会から見れば、特殊な世界なのかもしれない。
全日制の(日中に通う)大学の場合、ほとんどの人が18歳で入学して22歳で卒業する。
私のように周囲と年齢が違うことに対して負い目を感じたり、
逆に、人々が一歳でも自分達と年齢が離れている人に対して、何となく距離を置いて接したりするのは、
日本に限った現象なのだろうか?
去年、私が見学させてもらった、うちの大学の中の留学生だけを集めた学科には、
いろんな国の、年齢もそれぞれ違う学生達がいた。
今年の1月19日、私は彼らの卒業パーティに行った。
そのパーティが終わった後、私は彼らの前でいきなり泣いてしまった。
当時、私は彼らに自分の近況を話した際、周囲との年齢差があることについての悩みを、思わず打ち明ける展開になった。
すると、
「なんでー(そんなこと気にするの)?私たちのクラスで一番年上の人は、一番若い子より10歳以上年齢が離れてるけど、私達みんな仲良しだよー。」
と、言われた。
確かに、彼らの授業はアットホームな雰囲気で、昼食時間も仲良くみんなで食事をしていた。
それは、日本人同士の「仲良し」とは少し違う感覚なのかもしれない。
彼らにとって他人とコミュニケーションは、死活問題に関わる重要な能力だろう。
現在私も、学内で関わる人を選り好みできる立場じゃない。
たとえ、もし相手が私の年齢を知って戸惑ったとしても。
この記念日を私は大学に入学してから知った。
ただし他の学生達は、高校時代も仏教系の学校出身だったり、実家がお寺の人などは、
こういった行事には入学前から馴染みがあったみたいだ。
当時の私は、この時点で他の子達より大きく出遅れていることに、不安を覚えていた。
この土地に来て、今まで、非日常的で滅多に触れる機会のなかった風景が、とても日常的なものになった。
お坊さん先生や僧籍を目指す学生達の存在、座禅を組むためのお堂…etc。
それらは、日本の伝統(の一部)そのものなのに、私にとって目新しい発見ばかりだった。
国内で異国(にいるような感覚)を感じた。
今日の風呂あがりはフルーツ・オレを飲んだ。やっぱり、牛乳系の飲み物に限る。
日渡早紀原作の「ぼくの地球を守って」。
これは、テラと同じく少女漫画が原作。
今回の「テラ」の冒頭で、主人公が夢に出てくる人物に同化する場面があったように、
こちらの作品も、主人公の少女が宇宙を舞台にした夢を見て、
その夢に登場する人物の一人に、彼女の意識がシンクロしていく。
やがて、「確実に地球ではない、どこか」が舞台の同じ夢を見続けているという仲間達が、彼女の前に現れる…。
「ぼくの地球…」で主人公達が共有していた世界(夢)は、結果として、彼ら自身の前世の記憶だったのだけど、
「地球(テラ)へ…」の主人公・ジョニーが見た夢は、これからの展開にどう生かされていくだろうか。
こちらも、「ただの夢」ではなさそうだ。
今日の作品を見た第一印象は、主人公の容姿が「サイボーグ009」(石ノ森章太郎の作品)に似てる気がした。
主題歌と共に流れるオープニング映像からは、
手塚治虫の「火の鳥」みたいに壮大な物語を期待できそう。
「BOOK OFF」(古本の販売や買い取りをやっているお店)で、原作を探してみるか。
数日前(3月の終わり)、家のポストに一枚のチラシが投函されていた。
そこに書いてあったのは、4月2日は何の日か知っていますか?
という内容から始まって、読み進めてみると、イエス・キリストの命日だ、と書いてあった。
ちなみに、このチラシの連絡先は、キリスト教系の宗教団体のものだった。
日本では、彼の誕生日(クリスマス)はよく知られていて馴染みがあるけど、
私は、彼の命日をこのチラシで初めて知った。
私たちがクリスマスを特別な日と感じる一方で、
このチラシをくれた彼らは、彼らなりの聖書の解釈から、
彼の誕生日が本当に12月25日だったんだろうか?と疑問を抱いているようだ。
私が「当たり前」と思っていることも、別の場所では違う解釈がなされている。
この分野を専攻に選んでもまだまだ、新しい発見や驚き、そしてとまどいが多い。
政治と宗教の話は、軽々しく人前で話さないほうがいい、と言われる。
私も家族からそう言われて育った。
この分野を専攻に選んだことで、皮肉にも悩みが増したときもあった。
今でも、このたぐいの話を話題に出すのは、とても緊張する。
私が宗教や伝統に対して感じたことを、すべてありのままに話すのは完全な罪だ。
だけど、話してもさしつかえない、と自分なりに考えた範囲で、
これからの記事にこの分野を取り入れることを、どうか許してください。
帰宅してから、あのチラシを再び確認してみた。
なぜか胸騒ぎがしたから。
4月2日は「彼の命日」ではなく「彼の死を追悼する日」、だった。
「今年はイエスの死を記念する式が、4月2日、月曜日の日没後に行われます」(チラシの原文引用)
と、ある。
私に読解力がなかったm(__)m ごめんなさい
そして今日、去年に仲良くなった留学生が引っ越した。
彼については、また今度に記事を書こう。
最近は、卒業式がこの前あったばかりで、
この季節は別れもあるけど、また新しい出会いもやってくる。
今のバイトで、同じ学科の、学年の違う人と知り合いになった。
先生からメールきた。
「あの彼」(出家した)に会ったそうだ。私も早く会いたい。
久しぶりにバイトができるのがとても信じられなくて、
昨日の晩は、ワクワクしっぱなしで、なかなか眠れなかった。
ここまで体調が回復できて良かった。
そして、このささいな喜びをここで報告できることが、更にうれしい。
私はとても励まされたから前進することができた。
この「特別なありがとう」を、ある人に捧げる。
今月15日、私はお祝いと一年間ゼミで過ごしたお礼を伝えに学校へ行った。
私と彼らには心理的な距離があったことは認める。
見返りを求めてたわけじゃないけど、見返りがなければないで寂しく感じたことが、なんだかやりきれない。
私が冒頭の友人を特別に感じるのは、行動と本心が伴っていて裏表がないから。今も昔も。
彼女は、いじわるな冷やかしや嫌味を言わない。人を適当にあしらったり見下したりもしない。
たとえ、彼女自身が不本意な扱いを受け続けても、それを他人に仕返すことはなかった。
ただ、みんなと仲良くなりたかったから、どんな形であっても話しかけてもらえたことがうれしい、
と彼女が私に言い切ったことが忘れられない。
言ったもん勝ちの、えげつない世の中にがっかりすることもたくさんある。
考えるだけ苦しいのは分かってる。
彼女と同じ教室で過ごした昔、個人と周囲の決して交わることのない思いを目の当たりにした。
私はその光景を受け入れることができなかった。
今の学校で、このやりきれない思いに対する教えを乞いたいと思った。
この選択は正しかったのだろうか、と、今も気持ちはくじける。
でも、高校時代に今の学校を見つけられなかったら、私は一番望まない世界に身を置いたままだった。
心を殺しながら生きることは、死んでるのと同じ。
少なくとも高校時代、私は死んでた。
現在も、その時代に気持ちが戻ることがある。
本当の自分を取り戻したい。
明日は、四月からの授業についてオリエンテーションが行われる。
来月2日から本屋でバイトも始まる。
時間もある今のうちに、いろんな気持ちを書き留めておこう。
私たちは今、別々の県にいて、お互い離れて暮らしている。
田舎では私も、なぜ親のそばにいてやらないのか、なぜ留年までする意味があるのか、
もう退学して田舎帰ってくればいいのに、と、さんざん言われる。
でも、父だけはいつも私の味方だ。
そばにいなくて寂しいけど、離れてるからといって愛情が薄れるわけじゃない。
どこにいても離れてても、お互いを気にかけることを忘れずに、元気でいてくれればいい。
こう言ってくれる。
ときどき、自分の進路選択が間違ってたんじゃないか、って自信なくなるときもある。
鹿児島に残った友人達から聞く、高校時代とほぼ変わらない人間関係が引き続き自分達の身近にあるという、とても魅力的な環境。
就職に有利なネームバリュー(偏差値とか)にコネ、社会的に受け入れられやすい学科の専攻。
私は人よりたくさんの迷惑と心配と、たくさんの学費を親へ負担をかけた。
それ以上に、親子の確執をお互いが覚悟したときは、本当に、本当に苦しい思いをさせた。
今だって、現在進行系でお互いが苦しい。
それでも、いつかお互いが笑いあえる日が来るから、今を捨てないで生きていこう、
と、約束した。
今回は、いつもよく話をする親戚とは別の人達と話せたことが、大きな収穫だった。
その人達は私の祖父の妹達で、つまり私の大叔母にあたる。
この母方の祖父は、遠い昔に若くして亡くなっている。
彼が亡くなった当時、私の母ですら幼かったというから、私なんて影も形もない時代だ。
大叔母の一人は、私に立派な写真をくれた。
それぞれが他家へ嫁いでもなお、祖父への慕情の尽きない大叔母達が私をこんなにも受け入れてくれる。
私のこの血とルーツに感謝する。
その親戚の中に、関東で教員をしている男性がいて、
偶然にも彼は、私の通う大学で同じゼミを受けていた学生の、高校時代の恩師だということが分かった。
そのクラスメートは、今年、つい3日前(3月15日)に卒業したばかりだ。
ちなみに男性は、私の母の従弟にあたる。
世の中、誰とどこで繋がってるか分からない。