15日のNHKの夜に放送されたニュースの中で、
去年12月上旬に日本でも公開されたハリウッド映画「硫黄島からの手紙」の舞台となった、東京都硫黄島の映像が流れた。
日米両軍の元兵士達と、米軍側からは現役の兵士も交えて、合同慰霊祭が行われたときの映像だった。
恥ずかしながら、私が「こっちの」硫黄島を知ったのは成人になってからだ。
昔、メール交換していた(いわゆるメル友)から教えてもらうまで、
硫黄島と言えば、鹿児島県三島村に位置する同名の「硫黄島」しか知らなかった。
ちなみに鹿児島の硫黄島は、島から流れ出る、鉄分を含んだ温泉だか土(?)だか硫黄のために、島近辺の海の色は茶色い。
中学の頃、この島にキャンプに行った友人達(私は体調が悪くて参加できなかった)が見せてくれた写真には、
赤茶色い海で遊ぶ友人達と、そのバックに煙の上がる山の光景が写っていて、茶色と青い海の境界も確認できた。
これらの光景の不思議さも手伝って、この島の(写真の)印象は、やけに鮮明に覚えている。
この硫黄島には誰もが気軽に足を運ぶことが可能で、もちろん軍事基地もない。とてものどかな島だ。
さて、冒頭に戻って…。
戦争(この場合は、第二次世界大戦)を、私の肉親で経験したのは、今は亡くなった私の祖父母達だ。
祖父は戦地へ徴兵されて、鹿児島を南下してフィリピン・インドネシア・シンガポール・マレー半島と、亜熱帯の国々を中心に移動した。
今も実家には祖父が残した、戦地で撮影された写真がいくつか残っている。
戦争の怖さは、意外なことに祖父じゃなく祖母からほとんど聞かされた。
私の実家の周辺も爆弾を落とされて亡くなった人もいて、
空襲警報がけたたましく鳴る夜は特に、祖父と離れて生活していたから余計怖かった、って。
一方、祖父が話してくれた内容は、私が覚えている限りでは取り留めのない話題が多かったように思う。
スマトラのジャングルで虎と遭遇してこれを倒したこと、
-(この話を聞かされた当時は、この話は眉唾ものだと感じたけど、この時代の日本の兵隊の「カミカゼ」「特攻隊」などを考えると、あながちありえない話ではないかもしれない…。)-
脱腸して軍の病院に入院したこと、有名な歌手が慰問に来たこと、油田を掘りに行ったこと、
食料が尽きて現地で牛を盗んだこと、ドリアンを食べたこと…etc.
残された写真のうち何枚かは、写真の裏に紫色の丸いスタンプが押されているものがある。
祖母が生前教えてくれたことには、戦地から日本の家族に送る手紙や写真はすべて、
一度、軍の検閲にかけられて、このスタンプはそれを通った証しだそうだ。
祖母が祖父に送った写真も同じだった。
戦争は戦地へ行った男性だけのものじゃなくて、帰りを待っていた人達にも戦いはあった。
祖母はそう言いたかったんだろう。